はじまりの夜とおわらない熱
昼の暑さはまだ和らぐことはないものの、夜は虫の声が響き風は穏やかな涼しさをまとい始めた頃。呪術師の繁忙期を過ぎ、任務の数も減り出して夜は余暇に当てる程度の余裕ができ始めていた。涼しい夜風を受けて虫の音を遠くに聴きながら、この時間を読書などして過ごすのが私は好きだった。
その長閑な時間は人の部屋で人のベッドに我が物顔で寝そべってる悟によって壊されたが。網戸に張り付く羽虫が不快だとかで窓とカーテンを閉め切ってクーラーをつけさせる傍若無人なお坊っちゃまに、自分の部屋へ帰ればいいだろと文句を言えば、なんで俺が出ていかなきゃいけねえの?と心底意味がわからないという顔で返され、盛大に言い合ったのは先月のこと。
この夏を終える頃には悟はすっかり自室より私の部屋の方へ入り浸るようになっていた。
まあそれでも今は携帯ゲームに興じて大人しくしていてくれるからましだ。暇になると人が読書をしてようとお構いなしにちょっかいをかけてくる。今日はおとなしいほうだなと安心していた矢先、携帯ゲームを放り出した悟が不意に放った一言によって私たちの関係は一変することになる。
「傑ってさ」
「何だ」
「おしっこを極限まで我慢したことある?」
悟の発言は率直な上に突拍子もないことが多い。この日もまさにその典型例だったがあまりのくだらなさに答える気も失せる。無視してやってもよかったがこの男に対して初手無視は悪手だ。何か言い返すまでちょっかいをかけるのをやめない。そして真面目に答えても碌な話の流れにならない。ので、とりあえず一言でぶった斬ることにした。
「……ないよ」
「今の間はあるだろ」
「ないって。質問が突拍子もなさすぎてフリーズしただけだ」
「あの我慢した後に出すおしっこってさ」
「人の話を聞かないな本当に」
「すげー気持ちいいじゃん」
「知らないから」
「だからさ」
「射精も我慢したら気持ちよくなんのかな」
やはり碌な話じゃなかった。もう受け答えすら面倒になってそのまま返事もせず読みかけの本の続きに目をやるが、それを意に介さない男はさらに碌でもないことを言い出した。
「傑、ちょっとオナニー手伝ってくんない?」
「…は?」
今こいつなんて言った? オナニー? 手伝う? 今ここでナニするって?
「悟」
「うん」
「聞き間違いか幻聴だと思って忘れるから今すぐ部屋へ戻れ」
「やだ」
語尾にハートがつきそうな軽やかな口調と満面の笑みを向ける悟にあわや呪霊をけしかけそうになるところを既のところで耐えた。
「もう一度だけ言う。帰れ」
「傑って週に何回くらい抜く? オカズなんか使うの?」
こいつ、耳がついてないのか。ブチギレ寸前になりながらも辛うじて耐えてることを知ってか知らずか悟は続ける。
「俺さぁぶっちゃけ嫌いでさ」
「……うん? 何が?」
話の流れがやや変わったことに不覚にも興味を惹かれた。最低な下ネタを振られたと思ったが存外真面目な話だったのだろうか。
「だからオナニー。優等生の傑くん的には自慰? なんでもいいけど気持ちよくねーから」
「……気持ちよくないって? なんで?」
まずい、と思った。具体的に聞いてしまったら悟の話に乗せられる流れになるのはわかっていた。それでも抗えない好奇心に後押しされてついつい質問を返してしまった。だって驚いたのだ。
「ムラムラしてちんこ勃つじゃん。そしたら自分で擦って出して終わり。スッキリするけど気持ちいいとかねーなって。俺はそれが当たり前でそんなもんだったけど傑はどうなのか気になって」
「なんでそこで私が出てくる」
「他に誰に聞くんだよ」
逆になんでそんなこと聞いてくる?といった顔で悟が私を見上げてくる。どう考えてもセクハラを受けてるようにしか感じないが、要するに悟は自分と他人がどう違うのか知りたがっているのだろう。友人同士でよくある猥談といえばそうなのかもしれない。そんな普通の話をする友人が悟にいたとは思えないけれど。そもそも興味を持つこと自体が意外だった。
年相応に性への興味はあるのだろうし、実際好みのグラビアアイドルの話もするが、悟からは生々しい印象を受けない。造り物じみた顔のせいもあるのだろうか。本人は清らかさとはかけ離れたところにある性格だというのに、それでも俗っぽい印象とは無縁なのが五条悟という男だ。他人の性行為へ興味を覚える性質には見えなかった。明け透けにものを言うことは多いが今までセクシャルな方面でそれが発揮されたことはなかったからだ。小学生が喜びそうな下ネタ発言は多かったが。
「なぁどうなの」
悟の発言は知的好奇心からなのだろうか。それにしたってじゃあ手伝ってというのは発想がぶっ飛びすぎてる。猥談程度のってやるのは吝かではないが実践を伴うとなると話が違ってくる。どうにかうまいこと話だけでかわせないか考えていたら悟が起き上がってベッドの淵に腰掛ける私の横に並んで座った。答えを促すように首を傾げて顔を覗き込まれて急に恥ずかしさが込み上げてきた。この綺麗な顔の男と猥談をしている。その状況にいたたまれない気持ちになったのだ。
「そういう質問はデリケートだから親しい相手でも聞くのはどうかと思うよ」
結局うまい答えも思いつかず逃げを打ってしまった。答えを聞いて悟は案の定不貞腐れた顔をする。
「俺は傑にならどんなことを話してもいいって思ってるけど傑は違うんだ?」
どうやら思っていたのと違う方面で機嫌を損ねたらしい。
「どんなことが恥ずかしいかは人によるだろう」
「また出たよ正論。じゃあお前が先に聞いたのに俺にだけ言わせてそれは公平か?」
そこを突かれると弱かった。だから先ほど質問を返すべきではなかったのに。わかっていて好奇心に逆らえなかった自分が恨めしい。後悔先に立たず、いよいよ悟の術中にはまってきていた。仕方ないな、と一つため息をついて悟に向き合う。私が答える気になったのを察してわかりやすくその顔に喜色を浮かべた。現金な奴め。
「……まあ、気持ち良くない、わけじゃない」
素直に気持ちいいよと説明するのはなぜか気が引けた。恥ずかしい、というよりは目の前の男が快感を得ていないもので自分が快感を得ている、というのが果たして本当に普通なのか不安になったからだった。悟のことをとやかくは言えない、何せまともに友人がいなかったのは私も同様で、だから他の人と比べて自分が普通なのかも定かではなかったからだ。
「それって出すと気持ちいいの? それとも触ってると気持ちいいの?」
「質問には答えたろ」
「俺はどっちも答えたから傑も二つ答えないと等価じゃねーだろ」
「勝手にルールを作るな」
とは言っても公平じゃないと他ならぬ悟に言われるとよせばいいのに対抗心が湧く。厄介なのは己の負けず嫌いか、目の前で自分本位に生きてるくせに私の答えを律儀に待つ男か。あるいは両方。しばし間を置いた後、渋々答える。
「……出す時が一番気持ちいい、かな。触ってても気持ちいいよ。そういう風にできてるんだよ男の体は」
もはや性教育するぐらいの気持ちでいたらいいと開き直ってきた。人に教えられるほど知ってるわけではないが、悟は他人の違いがわかれば満足なんだろう。下手に隠す方が深掘りされる恐れがある。
「オカズは?」
「グラビアとか」
ヤケになってきたので淡々と答える。
「どんぐらいかかる?」
「普通」
「普通がわかんね」
「悟は?」
「計ったことねえや。3分くらい?」
「えっ早」
「早えの?」
「たぶん」
「傑は?」
「…10分くらいか?」
「そんなに何してんの?」
「え、だから触って気持ち良くなって出るまでそれぐらいかかるから…」
「ふーん」
「聞いておいてそれか」
「どのぐらいの頻度でする?」
インタビューじみてきて逆に可笑しくなってきた。
「週2回か3回ぐらいじゃないか」
「あー同じくらい」
「嫌いな割に意外とするんだな」
「性欲ってそういうもんじゃねーの?」
性欲自体が薄いわけではないのか。となるとやり方の問題なのだろうか。話してると段々と悟の抱える問題を解消してやりたい気持ちになってきていた。この辺で少し冷静になるべきだった、と後から悔やんでも仕方ないことにこの時は思い至れなかった。
「やっぱり早すぎるのが問題なんじゃないか。五条悟が早漏って」
「早漏じゃねーよ。気持ち良くないから早く終わらせたいだけだ」
笑い含みに揶揄ってみたら意外に真剣な表情で応じられて怯んでしまった。もしかして本当に悩んでるのか?だとしたら親友として誠意がなかったと反省して謝罪をしようと口を開く、より先にそんなもの吹っ飛ぶ最低な発言が悟から飛び出した。
「だから傑が気持ちよくして」
「……は?」
「間違えた。射精我慢するからそれまで傑が俺のちんこ抑えてて欲しい」
え、それがオナニー手伝ってくれっていう発言の真意?
「……意味がわからない」
「は? 傑、今までの話聞いてた?」
「悟にだけは言われたくない」
「俺はオナニーが気持ち良くない」
「やっぱり聞かないし」
「傑はオナニーが気持ちいい」
「……」
「傑はちんこ触ると気持ちいい、俺は気持ち良くない、オカズがあるのとないの、時間が長いのと短いの、違いってこんぐらいか?」
先ほど淡々と答えたつもりの項目でも復唱されると気まずい。頷くのも嫌で無言で悟を見つめる。恥じらいもなく話し続ける悟が何を考えてるのか、次に何を言い出すのか、この期に及んでも私は察せていなかった。
「傑も言ったじゃん。早いのが問題だって。だから最初に言っただろ『おしっこみたいに我慢したら射精も気持ち良くなんのかな』って」
「そこへ繋げるか…」
あんまりな話の流れに思わず項垂れる。長い問答への始点と終点がようやく私の中で繋がった。繋がったからといって承諾するわけではないが。
「私が手伝う義務はないんだが」
「でも俺もう勃ってるし」
「はぁ!?」
これ以上爆弾発言はやめろ!思わず悟の下半身を確認する。寝間着代わりのスウェットの上から見たところで変化はわからない。
「そういや最近抜いてねぇなって思ったら急に」
「そういうものか?」
しまった、変に聞かずにとっとと部屋に帰すべきだったのに。気付いた時には悟は立ち上がってさっとスウェットを下げてしまっていた。およそ高校生が身につけるには不相応に思える高級ブランドのロゴが入ったボクサーパンツの中心をふくらみが押し上げていた。勃ってるというよりは兆している段階だろうか。目の前で脱がれた驚きで身動きすら取れずそのまま悟の動向をただ見守るしかなかった。恥じらいもなくパンツも下ろして足から抜き、目の前で仁王立ちする半勃ちのやたら顔の綺麗な男。冷静になると笑える絵面だったがこの時の私は動揺するばかりで、ただただ目の前に放り出された悟のブツをしげしげと眺めるという大変な間抜けヅラを晒していた。
風呂や着替えで何回か目撃して知ってはいたが、改めて見ても悟のものは大きかった。大きくて長い。臨戦態勢を見たことはなかったがこの分だと硬度も申し分ないのではないか。比べる対象が己のものしかないので自分のものとの比較だが、こんなところで差を見せつけられると些かどころかだいぶ悔しかった。私が劣っているわけではないと思う。思いたい。
「なんか面白い?」
「何が?」
「熱心に見てるから。鑑賞料とるぞ」
「馬鹿言え。自分から見せてきたんだろ。あと熱心には見てない」
と言いつつ観察を続ける。悟に指摘されるほど熱心に見てたとは思わないが、そうは言っても他人の性器をこんなふうにみる機会はないので自分との比較をしてしまう。
悟のものは大きさ長さも驚嘆に値するが、なんというか綺麗だ。男性器に使う形容として正しいかはわからないが。肌の色素が薄いせいか性器もうっすらピンクがかっている。確かめたことはないが童貞なんだろうなと思った。
こうして眺めていても嫌悪感が湧かないことも不思議に思わなかった。
徐に見上げると普段となんら変わりない表情の悟と目が合った。なぜそんなに恥じらいもなく堂々としていられるんだろう。自分が男の局部をまじまじと観察していたことを棚に上げてそんなことを思った。そこでハッとして、とりあえずこの状況をなんとかしなければと思い出した。
「それをしまってとっとと自分の部屋に帰れ」
「ちんこおっ勃てたまま部屋出ろって?」
「どうせ隣だろ」
ほら、と言って悟の脱いだものを渡してやると着るどころか部屋の隅に放り投げやがった。この野郎。
悟が再び私の左隣に腰掛けたと思うと、やおら左腕を掴まれあろうことかそのまま悟のものへ押さえつけられそうになって慌てて腕を引いた。
「何するんだ!?」
「何ってナニ」
「今そういう茶化しはいらない!」
「いやさっきからその話しかしてないじゃん」
最初から今まで極々冷静な様子の悟が気に食わない。どうして私だけが慌ててるのか。状況も行動もおかしいのは悟の方なのにまるでこちらが間違ってるというような態度で接してくる悟が解せない。本当に頭がおかしい。
「俺がおかしいかおかしくないか俺はわかんないから」
ハッとして悟を見た。頭の中を覗かれたのかと思って心臓が嫌な音を立てる。彼を傷つけたのかもしれないことに焦った。
「悟、」
「別に俺がおかしくても構わないけど。オマエはどうなんだろうって」
「え、私?」
「傑にとっての普通が知りたい」
真っ直ぐに見つめてくる悟の表情は滅多に見られない真摯なものだった。
「……」
これが性行為についての発言でなければそこそこいい話だったのにな。頭の片隅でそう思いながらもこの時点で私は絆されていた。いや、考えてみれば目の前でパンツを脱いだ瞬間に問答無用で叩き出せなかった時点で絆されていたんだろう。
「……とりあえず普段のやり方でやってみて。その後に我慢できるようならしてみよう」
「おー」
改めてベッドの上に向き合った形になる。胡座をかいて座る悟の目の前に何故か正座で陣取る私に構わず、悟はごくごく普通の調子で自身に手を伸ばす。徐にぎゅっと握ったかと思うとそのままゴシゴシと扱き始めたことにこちらがぎょっとした。
「ちょっ、悟、ストップストップ」
「え? 何?」
「何じゃない、そんなふうにしたら痛いだろう」
半勃ち状態とはいえ先走りも出てないのにそんなに強く握ってたら痛くないのだろうか。刺激が強い方がいいタイプか?とはいえ私からすると刺激どころではなく拷問に見え思わず自分のものがすくみ上がる。先ほど見た綺麗な性器が乱雑に扱われて可哀想に思えてきてしまった。乱雑に扱ってるのは他ならぬ本人なのだが。
「そんな調子じゃそりゃ気持ちよくならないだろ…」
「そっか? 出ればいいんじゃねえの?」
「それはそうだけど…」
悟のこの認識はなんだろう。普通自慰をするときは多少なり気持ちよくなりたいとか、異性にこういうことをしたいとか、性的欲求を抱えてするものではないのか。ムラムラはするけど気持ちよくなるより一刻も早い射精を望む心理というのは私にはいまいちわからなかった。でも今はその原因を探るより、目の前で搾り出すかのように力強く握られてる悟の性器に優しくしてやりたかった。正座をといて身を乗り出し四つん這いで悟に近づく。
「触っても?」
「え、何急に。結局手伝ってくれんの?」
「見かねてね」
「願ったりだし。いいよ、ほら」
許可を求めたのはこちらだが胡座をといてほら来いよと言わんばかりの態度を取られると何様だと若干の反抗心が湧いた。たぶん悟は何も考えてないだけだ。いちいち煽るような言動に怒っていては身が持たないと自身を制しムカつきは抑えて悟の性器に集中する。
悟の手の上から両手でそっと包むように握り込むとピクリと性器が震える。やわやわと悟の手といっしょに揉むように刺激すると感じるのかビクビクと震え上向きだす。見ててもそうだしこうして悟の掌越しに触っても思ったが、嫌悪感や忌避感といったものがない。どころか、今、私の手が触れた途端に少し硬度を増した手の中のものに愛らしさすら感じていた。
「悟、手離して」
「…っ、」
息を詰める音がして悟の手がパッと離れる。素直に従う悟に気分を良くしながら改めて直に触れたものの感触を確かめるように竿全体を撫で上げる。触れるか触れないかぐらいごくごく表面をなぞるように陰茎の根元から亀頭まで指先を滑らすと、指に呼応するかのように半勃ちだった悟のそれが勃ちあがる。素直に反応することに喜びを感じ、かわいいな、などとすら思い始めていた。左手を輪の形にしてやさしく上下に擦りながら、反対の手で亀頭を撫でてやると先走りが滲んだ。それを掬い上げ亀頭の先に塗り込むように手のひらで撫でるといよいよ高く勃ちあがり硬さも増していく。なんだ、ちゃんと気持ちよくなれるじゃないか。微笑ましい気持ちになって悟を見上げると、始めるまで平然とした顔をしていた悟は口を抑えて真っ赤な顔でこちらを凝視していた。
「? どうした急に」
「っ、どうした、じゃねえし、すぐる、こういうの慣れてんのかよ」
「慣れてる?」
慣れてる、とは。自慰は確かに人並みにするがことさら手慣れてるとは思わないし、思いたくない。普通だたぶん。
「他のやつとこういうことしたのかよ」
両手で顔を挟まれる悟の目線の高さまでぐっと引き上げられた。目が合う。蒼穹の六眼は快楽の色に濡れていたが、奥底に怒りを湛えていた。
「何か気分を害したか?」
「他の、やつにも、したのか?」
顔を挟む手にさらに力がこもったことで悟の真剣さに気づく。他のやつと、なんて愚問すぎる。
「あるわけないだろ」
「ほんと?」
「ああ」
「俺だけ?」
その言い方はニュアンスがちょっと違う気がするけど、事実ではあるので肯定しておく。
「悟だけだよ」
「ん。ならいいや」
なんだこいつ。何がそんなに気分を損ねたのかわからない。続けてもいいものか、というかこんなはずでは、正気に戻りかけた私の理性を悟の声が押し流した。
「傑の手、気持ちいい」
はあ、と耳元で息を吐きながらそんなことを言うものだから、びくっと肩が震えた。思わず手の中のものにも少し力が入ってしまったようで悟もうっ、と詰まった声をあげる。
「あ、ごめん」
「いや、だいじょうぶ、続けてよ」
すぐる、と熱い吐息とともに名を呼ばれるとゾクっと背筋を悪寒のようなものが駆け上がった。一瞬、四肢にちからが入らなくなり悟の胸へくたりと寄りかかる。腹の辺りまで勃ちあがったものから悟のにおいが濃く感じられて、なぜだか視界がくらりとする。舐めてみたい、と頭の中でぼんやり思った。ふ、と軽く息を吹きかける。面白いくらいに反応したのは本人の方だった。
「オマエっ、その顔やめろっ」
「顔?」
「エロすぎる…っ」
そう言われてもどんな顔をしているのかわからない。でも悟の反応が面白くてふたたびふうっと先走りを垂らす先端へ息を吹きかけた。くぅ、っと喉が締まるような声を聞いてなるほどこういうのも気持ちいいのかと記憶した。刺激が強いのがいいかと思っていたが、他人がすると勝手が違うようだ。舐めるのはまだやめておこう。自分の思考に一瞬疑問を感じたが、すぐに隅へ追いやった。
先走りを絡めヌチュヌチュと音を立てながら陰茎を扱いていく。追い立てるように根元から絞りだすような動きをすると悟はどんどん息を荒げていった。私は手元に集中しながら、悟の視線が痛いほどに浴びせられるのを感じていた。やり方を知りたいならちゃんと手元を見て欲しい、などと考える余裕もなくひたすら悟を気持ちよくすることに没頭する。
「っ、うっ…」
小さな呻きとともに陰茎が震え、勢いよく精液が飛び出る。咄嗟に手で受け止めきれず、いくらかシャツの上から腹にかかる。このシャツもう着れないじゃないか。安物の部屋着だしいいけど、ちょっとムッとした。どうせ汚れたのでシャツで手を拭き、下を向いていたせいで落ちてきた髪を耳にかけながら苦情を言おうと悟を見上げる。
「悟、イク時はイクと言ってほしいな」
これはちょっとした腹いせで冗談のつもりだったし、普段の悟なら何か言い返すだろうと思っての言だ。
「……うん」
けれど悟は珍しく素直に頷き、言葉でも肯定を返した。今その素直さを発揮してくれなくてよかったな。出したせいで少し頭が働いていないのか、頬を染めて目を潤ませてこちらをぼんやり見ている悟はなんだか頭でも撫でてやりたくなる幼さを醸していた。
発言は冗談だったのだが、悟の気持ちいい顔を見てみたかったなと、少し残念に思っていた時、
「えっ、ひぁっ…」
気づかないうちに悟の手が下肢に伸びてスウェットの上から陰茎を撫でられた。予期しない行動に変な声をあげてしまいさらに動揺する。混乱が収まらないまま、悟はといえばスウェットに手を差し入れ下着の上からさらに撫でている。
「いっ、え…なに、して…」
「傑にもしてやろうと思って」
「は……?」
悟は先程のぼんやりした状態からいつもの冷静さを取り戻したように見えるが、頬は紅潮したままその目は新しい玩具を手にした子どものように無邪気に輝いている。行動の意味も言葉の意味も私の脳にまるで届かない。異国語を話しているようだ。
「傑の手でしてもらうのすげぇ気持ちよかった。お返しに傑も気持ちよくしてやる」
俺の学習能力見てな。そう言って手をどんどん進めていきとうとう下着に指がかかる。やめろ、と止める間もなくするっと下着ごと脱がされた。今、何が起こった?
気付けば下半身丸出しの状態で自室の天井を見上げていた。端的に言えば押し倒されていた。おかしい、こんな簡単にマウントを取られる鍛え方はしていない。悟が術式か何かを使ったのか?こんな小器用な真似できたか知らないが。どこか愉快そうな悟の声が上から降ってきた。
「傑、オマエこんな簡単に上取らせんなよ」
言いながら悟が私のものを撫でさするものだから反論さえできない。悟に触られた時点で反応していたそれは人の手が直に触れたことによってさらに敏感になっていた。
「あっ……やめ、さとっ、んぅ…」
「気持ちいい? 俺これさっきやってもらって好きだった」
上下に優しく擦る動きが絶妙だった。無意識に自分の好きなやり方で悟に触れていたらしい。悟の動きは先ほど私が彼に行ったものを反芻しているようだった。
「うぅ、は、ぁ…」
自分が教えたことなのに、人の手でされるとこんなにも気持ちいいのか。乱れる呼吸が恥ずかしくて手近にあった枕に顔を伏せようとすると、悟に阻まれる。
「あ、声抑えんなよ。イク時はイクって言えって傑が言ったんだろ。ちゃんと顔見せて、声に出して言えよ」
不用意なことを言った過去の自分を呪う。妙に素直だったのは言質をとるためか。
「ふっ、ん……」
容赦なく責め立てる悟の手に抗えない気持ちよさを感じて声が漏れる。必死で唇を噛んでやり過ごそうとするが、今度はぐちゅぐちゅと水音を立てて性器を弄る音が耳を犯す。視界の端には六眼を見開きこちらをじっと見つめる悟が映る。
「ふはっ、エロい顔…俺これだけでまた勃ちそう……」
舌舐めずりでもしていそうな声音と興奮で開き切った瞳孔に心臓が跳ねる。どくどくと脈打つ鼓動がわけもなくこわい。咄嗟に耳を塞ごうとした手を取られ悟の下肢へ導かれる。
「ね、俺のも触ってよ。今度はいっしょに気持ちよくなろ」
傑。
耳元で囁かれてびくんと反応してしまう。手の中のものが硬度を増して汁を大量に零しているのを悟も感じているはずだ。かろうじて出なかったが恥ずかしさと混乱の極地にいる私にはもはやどちらもかわらない。
「かーわいい。すぐる、俺の声で感じちゃうんだ」
俺もオマエの声、好き。肩口で額を擦り付けるようにしながら囁く。その間も悟は手を止めず亀頭を撫でたり、指の腹で尿道口を弄ったりして私を翻弄するのをやめない。内容はもはや頭に入ってこなかった。
「なあ、撫でてよ、さっきみたいに可愛がって。俺もオマエのこと目一杯可愛がるから」
そう言って招かれた悟の性器は再び硬度を取り戻していた。言われた意味を咀嚼する前に無意識に手が動く。さっきは気持ちよくしてやりたい一心で手の中のものに集中していた。今は目の前で悟がどんな顔をするのかに関心を引かれる。出した後の精液と再び零れる汁を使って先ほどより強めに力を込めて扱く。
「うっ、はぁ…、それ、きもちいい」
「んん、あぁっ……はっ…」
同時に悟が私のものも少し強めに擦り上げる。お互い限界が近いのは顔を見てればわかる。
「イクっ、でる、すぐるっ」
「はぁっ…わたし、も、イクっ…」
冗談みたいな言葉を真に受ける悟にたまらなくなって、同じように応える。
悟の蒼穹を写しとったような六眼が細まりみるみるうちに潤む様子は、快楽に揺らぐ脳にもはっきり刻まれるほど美しかった。その顔を見ながら、私は果て、次の瞬間手の中に熱いものを受けとめた。
射精後の気怠さと開放感で頭が働いていない。見上げると悟と目が合う。あっと思った時にはその顔がぐんと近づいて来た。咄嗟に、キスされる、と思って目を閉じる。コツン、と思ったところとは違う箇所に思ったより硬い感触があった。目を開けるとまつ毛が触れそうな距離に頬を赤く染めた麗しい尊顔があった。額と額を触れ合わせながら悟が息を吐いた。
「気持ちよかった」
「……」
それは、よかったね。そう思うが言葉にはならず、自分の数刻前の思考の恥ずかしさに思わず赤面した。なんだよ、キスされるって。私と悟は友人で、好きだとか愛してるだとか囁き合う甘やかな関係じゃない。第一お互いに恋愛感情などない。こうなってるのも悟の気まぐれな質問からで、好奇心とか、性的なことへの興味本位とかからで、決して特別な情があるからではない。特別な情もないのにお前は男の性器を見つめたり触ったりあまつさえ舐めたいなどと思えるのか?と自分に問いかける冷静な私がいたが、必死に反論を考える。特別な情はないと言ったが悟は悟だから、いいんだ。ありなんだよ。反論にもならない。こんな時まで理屈や意味を探してしまう自分の性質が恨めしかった。でももう終わったことだ。今回きりで忘れてしまえば何もなかったのと一緒だ。そうしたら悟とのことについて小難しく考える自分も消えるはずだ。
私が考え込んでる間に悟は体重を預け肩口へ頭を寄せてうつらうつらしていた。出したら眠くなったんだろう。健全で何よりだ。重いので早くどいてほしいが。自慰の仕方も教えたしこれで彼も無事つつがなく性生活を続けられるだろう。とりあえず寝そうになってる悟を起こして部屋へ帰ってもらおう。
「悟。起きろ。自分の部屋へ帰れ」
「ここでねる…」
ここで寝られたら私の寝る場所がなくなるだろ。そう告げるとうーん…とむずがるような甘えた声を出して私に抱きついてきた。肩口でぐりぐりされると髪の毛が当たってくすぐったい。幼児みたいだと思いながら腰に回った腕を外して起き上がらせる。先ほどまで気持ちよさそうに潤ませていた目は不満の色を湛え、こちらをぶっすりとした表情で見つめている。それには構わず部屋の隅へ放られたパンツを拾ってきて履かせてやる。うん、幼児だ。そこまでしてやってようやく悟は自分から動き出してスウェットを身につけた。ようやく部屋へ帰ってくれるらしい。
「今度はこの部屋泊まっていい?」
「布団が用意できるならね」
「二人で寝れるでかいベッド買おうかな」
「部屋に入らないだろ」
眠いからかはたまた射精で思考力が落ちてるのか、悟は妙なテンションだった。今までそんなこと言ったことなかったろう。というか今度ってなんだ。
「傑」
「ん?」
帰るのかなと思っていた悟はまだ立ち去る様子がない。いい加減眠くなってきたので出ていってほしい。それを告げる気力もなくなりかけていた。
「こういうことするの俺が初めてだよな」
「ああ」
さっきも似たようなこと聞かれたなと思いながら頷きで肯定する。
悟の手がこちらへ伸ばされ頬をするりと撫でられる。そのまま髪を梳くように撫でられ気持ちよくて目を瞑る。眠気がいよいよ増してきたところへ悟がまた問いかけを投げてきた。
「傑に触ったのも傑のああいう顔見たのも俺だけだよな」
「悟だけだね」
ふ、とごく近くで吐息を感じた。朧げな視界を開いた先に、まさに花開くといった笑顔の悟がいた。驚きに眠気も吹っ飛びパチリと瞬きをする。悟は表情と同じくらいふわふわとした声音で、
「俺以外のやつに今後一切こんなふうに触らせたりするなよ」
花の顔を綻ばせながら言う悟に一瞬見惚れて、返事が遅れた。
「は…?」
「じゃあな」
頭が真っ白になってる間に悟は部屋へ戻っていた。
しないよ、と間髪を容れず答えられなかったことを後々になって悔やんだが、その時は怠さと眠さとこの夜起こった色々なことを自分の中で落ち着いて整理したい気持ちでいっぱいで、着替えて掃除して部屋の空気を入れ換えた後に泥のように眠りこけてしまった。
***
翌日以降の悟はうるさかった。いや、悟はいつもうるさいが、別種の鬱陶しさがあった。
「傑、俺ムラムラしてきたから抜いて」
「死ね」
抜いてじゃない。人の手をオナホか何かと思ってるのか。暴言を吐かれた悟はそれでもニヤニヤとした顔を崩さないのが腹立たしい。
「傑は本当に怒ってたら先に手が出てくるだろ。言葉で言うだけならそんな怒ってないし、それって了承してるって意味でしょ」
喧嘩がお望みなら買ってやるが?繰り出した右ストレートは無限に阻まれる。想定内だったので足払いをかけようと試みたがこれも阻まれた。こんなところで術式の無駄遣いをするな、と悟に思うが、一方で私も呪霊を呼び出していたので口に出すことはしなかった。
人気のない廊下で告げられただけ分別があったと思うのは悟に対して甘いだろうか。何も今日に限った話ではないのだ。このところは寮の部屋、任務の移動中、教室、人がいようと構わず気まぐれのように誘いをかけられる。日中はこうして叱ったり拒んだりしているものの、ことに寮の自室で迫られて断れた試しがないことに自分が一番腹を立てている。
だからこれは悟に対する腹いせだ。悟もそれを承知でいる。なんとも腹立たしい。
「傑も俺とするの気持ちいいでしょ?」
「うるさい」
「否定できてないのが何よりの証拠じゃん?」
確信をもった言い方なのが気に入らない。が、その通りなので言い返せないのも事実だった。
「別に悟じゃなくても、触られれば反応するもんなんだよ! 男はな!」
完全に負け惜しみの売り言葉だ。普通に恥ずかしいことを言っている自覚があったが悟を調子に乗らせる方が癪だったので咄嗟に吐いてしまった。
「は?」
だがそれを聞いた悟がニヤけた表情を引っ込め真顔になったのを見て、下手を打ったことに気付くが時すでに遅し。
「俺以外に触らせるなって言ったよな」
空気を裂くような声と気配の圧力が増す。了承はしていない、という旨を伝えようとして、これは変な誤解を招くと思いやめる。
「他人には触れさせてない。単なる一般論だ。悟だって私じゃなくても、」
「ねぇよ」
言いかけた言葉を遮り否定される。確信に満ちた言葉と態度でもって悟の言葉は一つの託宣のようだ。
「傑以外になんか触らせないし、傑以外が触れたって何も気持ちよくない」
「……わかんないだろ」
きっぱりと告げる悟に対して童貞のくせに、と思ったが口をつぐむ。いま火に油を注ぐような真似は賢明ではない。
「わかるよ。傑だってわかってるくせに。そうじゃなきゃ、オマエが何回もあんな真似許すわけない」
ふと肩の力を抜き、呼び出しかけていた呪霊を戻す。同時に無限を解いた悟が私の腕を取った。
「俺じゃなければ、あの時だって最初から拒んでたはずだろ」
握られた腕が痛みを訴えるほど力を込められてることよりも真正面から縋るような視線を送られることの方が堪えた。自信満々が常の男がこうして弱気な顔を見せるとつい甘やかしてしまいたくなる。そうだよ、と言ってその手を取りたくなってしまう。
悟、それは刷り込みみたいなものだよ。別に私じゃなくても、本当はいいんだよ。そう言って宥めるのが本来の役目だ。一方で、本当に悟にとってのただ一人だったらいいなと願う自分がいる。
悟に触れられた箇所が熱を持つ。悟の体温と私の体温。どちらともなく上がり続けてるような錯覚に陥る。あれからずっとこうなのだ。触れられると触れたくなる。そばにいるともっとそばに行きたくなる。悟だからこうなるのだろうか。理性はずっと思考を放棄している。
廊下に差し込んでいた夕陽はとうに落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。遠くから虫の声が聞こえる。
「……帰ろうか、悟」
「……」
答えない彼の手を取り握って歩き出す。渋々といった体で後をついてくる悟がそれでもぎゅっと手を握り返してくれるのが嬉しいと感じる。私が答えなかったから悟も答えなかった。私が先に触れたから悟も私に触れた。だから私が踏み込んだら、彼も踏み込んでしまうのだろう。
今日も帰ったら、ご飯を食べて、風呂に入って、窓を開いて虫の声を聞きながら本を読む。でもその時間も長くは続かない。今日も悟が来るだろうから。そしてその時は悟の誘いを拒めないし、触れたいという欲のまま彼に触れてしまうのだろう。
誰でもよければよかった、悟に言ったらまた怒りを買いそうなことを思う。触れてしまったのが、触れられたのが、悟だから今こうなってしまったのだと、理性でも感情でも理解し始めていた。
2021.03.12
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