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メモ、お返事、雑感

No.25

天城の故郷に戸籍(それに準ずる概念)があるのか考えてて戸籍の歴史をちょっと調べた。
6世紀頃からすでに戸籍制度のようなものはあったんだね。おもに租税や徴兵のための身分登録っぽい。
君主制をとってるなら当然天城の故郷も租税はあるんだろうし、兵隊って言ってたから徴兵制度もあるんだろう。
てことは戸籍登録の概念自体はありそう。ていうかたぶん思ってるよりは一つの社会としてそこそこの人数で成り立ってるんだろうな。
過疎の村ぐらい?わかんないけど。

まあそもそも考え出すと天城の名字はどこからきたんだとか切りがない話ではある。
名字制度自体はおそらく当初なかったんだろうけど、どこかの時代で取り入れたんだろう。
と考えるとやっぱり一切外部と切り離されてたとは考えにくくて、故郷外とのパイプみたいなのはあったんだろうと思う。
天城の故郷全員名字が天城でも不思議はないよな。なんなら故郷の場所が天城と呼ばれるのかもしれん。

それだと天城峠になってしまうのでは。それも面白いけど。

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