Memo

メモ、お返事、雑感

No.2770

生きるために強くなり強さの理由や意味を求めず快楽のためだけに人を殺してきたのなら宿儺の生きる上での理は人というより獣だな。

生きたいから生きてる。
殺したいから殺す。

五条や鹿紫雲さんとは違った視点で人間とは違うステージに立ってる。

それでよしとするに至ったのが一人でなのか、あるいは誰かにそれでいいよと肯定されたのか。

後者だとすると羂索が怪しいのかなぁなんて、まあ妄想ですけど思います。
以下本当に妄想しかないけど。
羂索は生きるために命をかけられない人間も、理想のために踏み出せない人間も軽蔑してるっぽいけど、宿儺が生きるためにあらゆる手段を身につけて強さを手にしてそうして生き抜いてきたなら、そういう宿儺の姿は好ましかったのかもなって。

五条はある意味死地の覚悟をもって戦ってたけど宿儺は全然最初から死ぬ気というよりはいつだって自分だけは生き抜くために戦ってるのかもなあ。
それは主人公属性の仕事では……

友達が呪術廻戦は死に様を描くための漫画なんだみたいに言っててとても同意だったので。
宿儺は呪物になって受肉して蘇るし、羂索は死体を点々として生き延びるし、天元は不死の術式だし。
思えばこの漫画の元凶的存在みんな死と近しくいながら反対の場所にいるのかもなって。

だから宿儺が誰より一番生きることのために生きててもおかしくないのかなと。
生きることに理由がいらない生き物。
死に様を描かれる術師たちとある意味対極なのだろうと思う。
死に様はある意味生きた証とその理由を描くためだとも思うし。

ごちゃごちゃ言っててよくわかんなくなってきたな(いつものやつ)
#呪術廻戦